2004年

ーーー11/2ーーー イラク今昔

 以前私が勤めていた会社は、イラク国内でパイプラインの建設工事をやっていた。その当時のイラク政府が、国民にとってどのようなものだったかは、外国人がとやかく言うことではあるまい。ともかくパイプラインが完成することによって、イラクに経済効果がもたらされ、それが回り回って社会基盤の整備、医療や教育の向上につながりもしただろう。ビジネスとはいえ、このような技術援助が、国と国との信頼関係を築いてきたのは間違いなかろう。

 今のイラクは内乱状態である。いたるところで毎日のように、殺しあいが行なわれている。その中で、日本人と分かれば、民間人でも狙い撃ちされる。惨殺され、星条旗に包まれて遺棄される。外務省の駐在員は、怖くて大使館から出られないそうである。人道復興支援を目的に派遣された自衛隊も、安全のため宿営地から出られず、本来の活動もままならなくなった。

 誰がイラクをこのような国にしてしまったのか。また、誰がイラクにとっての日本をこんなふうにしてしまったのか・・・。



ーーー11/9ーーー 空き瓶の片付け

 
自宅にたまったガラスの空き瓶を整理した。資源ゴミ回収の日に出せば良いのだが、ついついうっかりして出しそびれる。そんなことを繰り返すうちに、大量にたまってしまう。こうなると、ゴミの日に出すこともままならない。我が家の瓶だけで、共同で使う籠がいっぱいになってしまうからである。

 月に二回、リサイクル・センターへの持ち込みが許される。そのタイミングを見計らい、意を決して整理に手を付けた。

 ほとんどが私の酒瓶である。このところ気に入って飲んでいる、ある銘柄のウイスキーの瓶が、集めてみたら80本ほどあった。4日に一本のペースとしても、およそ一年ぶんである。ものぐさもここに極まれりといったところである。

 屋根の下とはいえ、屋外に置いてあった空き瓶はホコリにまみれていた。その一本一本を雑巾で拭いた。きれいになった瓶を運搬用のコンテナに並べて入れたら、なんだか酒の出荷をしているような気分になった。



ーーー11/16ーーー 鍼灸の効果

 私にはかかりつけの鍼灸医がある。豊科町の北条治療院である。ご厄介になって、既に10年にはなろうか。

 仕事柄、腰や背中に疲れがたまることがある。そんなときに揉みほぐしてもらい、鍼を打ってもらえば、体全体がすっきりとし、生き返ったようになる。と言っても、なかなか信用しない人が多い。人によって相性というものがあるだろうから、効き目を感じない人もいるだろう。しかし、私の場合はまことに有り難い先生である。

 ちょっと疲れが来たなと感じたら、早めにかかるのが良い。そうすればたいてい一回で済む。凝りがひどくなってからだと、二回あるいはそれ以上の治療が必要となる。

 保険がきかないから、治療代は高い。「もし保険がきくようになれば、体に故障を抱えている多くの人が助かるのではないですか」と話したら、先生は「そんなことになったら、丁寧な治療はできなくなりますよ」と言われた。

 ぎっくり腰などは、ピタリと治る。整形外科にかかれば、一ヶ月通っても治らないような重い症状が、二〜三回の治療で治ってしまう。鍼を刺すだけで、どうしてこんなに効果があるのかと、不思議に思う。「まるで魔法ですね」と私が言うと、先生は「ふふふ」と楽しげに笑った。

 毎年夏に松本で行なわれるサイトウ記念フェスティバルの時期には、先生は忙しくなる。出前治療で小澤征爾さんを揉んだことをきっかけに、楽団員の方たちにも評判となり、ホテルの部屋を回りながら、一晩に何人もの人を揉むのだそうである。

 医院の治療室には小澤征爾さんと一緒に写っている写真と色紙が掲げてある。「北条先生ありがとう」と書いてあるが、先生がそれを見ることはない。先生は幼い頃患った眼の病気で、後の人生を全盲で過ごされている。



ーーー11/23ーーー 哲学の参考書

 
若い頃から、哲学とか思想とかいうものに興味があった。興味があり、知りたいと願ってはいたが、その思いは遂げられなかった。大学の教養過程で哲学を履修したこともある。図書館から哲学書を借りてきて読んだこともある。いずれもチンプンカンプンで、さっぱり要領を得ず、知的好奇心は常に空振りに終わった。そんなことを、この歳になるまで、何度となく繰り返した。

 息子は大学受験のとき、文系科目を倫理に選んだ。それなりに勉強をしたようで、哲学なんぞに関してもいっぱしのことを言うようになった。私は息子からセンター入試の過去問題集を借りて、実存哲学あたりをちょちょいと解いてみた。しかし、全くダメだった。この点では息子にかなわなかった。

 息子は、「哲学の本など読んでも難しすぎて理解できない。勉強をするなら、大学受験の参考書の方が良い。少なくとも参考書には、読者に理解させようという明確な意志がある」と言った。

 そこで私は、本屋の棚から一冊の参考書を選んで購入した。「センター入試で倫理の点数が面白いほどとれる本」という題名である。こんな本を買うことに、大した抵抗もなくなっている自分が、いささか哀れに感じられた。レジの店員は、親が子供のために買ったと思ったに違いあるまい。

 はてさて、家に帰ってその参考書に眼を通してみたら、これがなかなか面白いのである。古代から現代に至る東洋、西洋の思想、哲学が、実に分りやすく書いてある。これほど面白い文献は世の中に少ないのではないかとさえ感じたが、それは大袈裟ではなく、たいへん有り難かったからである。

 言うまでもなく、かいつまんだ事しか書いてない。表面的と言われれば、それまでである。しかし、素人がとりあえずドアを開くための助けと励ましには、十分に役立つものだと思われた。



ーーー11/30ーーー 我が家の古時計

 我が家には、大きくもないしノッポでもないが、古時計がある。壁掛け式の振り子時計で、父がまだ子供だった頃、関東大震災で柱から落ちたが壊れずに済んだという代物である。父が世帯を持ったときにそれを引き取り、以来転勤で住む場所を変えても、ずうっと我が家で時を刻んできた。ところが、この地に越してからは、動かなくなった。

 松本に機械式の古い時計でも修理する時計屋があることを知り、持って行った。老人の店主は、この道一筋という風格の男であった。分解掃除をして直ったという連絡があったので、取りに行った。確かにその店の壁では動いていた。しかし、我が家へ持ち帰って壁に掛けると、やはり止まってしまった。振り子時計は傾いているとうまく作動しない。それが原因だろうと思って、いろいろ試したが、やはり止まってしまう。調子が良いと数時間もつのだが、翌朝見ると止まっている。そんなことを何度かやっているうちに諦めた。かくして、我が家の来客室には、振り子の止まった時計が14年間も掛けられていた。

 先日、また少しいじってみた。この14年間、そのようなことを時々思い出したように繰り返してきたのである。時計の傾きは振り子の音のリズムで確かめるのが良い、ということを誰かから聞いたので、その方針でやってみた。しかし、一旦は動いても、やはり数時間で息絶えた。祈るような気持ちで来客室のドアを開き、時計が止まっているのを発見するのは、なんとも口惜しく、痛ましい気分である。

 従来はこの時点で諦めるのが常であったが、今回は前後の傾きを変えることを思い付いた。そんなことが時計の作動に影響するか疑問ではあったが、ともかくやってみた。それが功を奏したとしか考えられない。時計は翌朝になっても動いていた。それを見たときは、一つの感動であった。「今夜がヤマです」と宣告された病人が、持ち直したときの感動に似ていると言ったら不謹慎だろうか。

 かくして古時計は息を吹き返した。

 時計が再生した日、たまたま父と母は数日の予定で東京へ出かけていた。直った時計を娘に見せたら、「おじいちゃん喜ぶね」と言った。 



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